メールってこわいネ

と、色々あって思いました。いや別にネガティブな事件が勃発したとかではないんだけど、人がどういう気持ちでその文章を打ったのか全くわからんので、どうもやきもきするというか。

会って話してたら、表情や仕草で、「あっ、今踏み込んじゃいけないとこいっちゃったな、やめよう」とか、「あっムッとしてる、なんとか軌道修正しなきゃ」とか、おもうわけじゃないですか。こういう風に文字にすると打算っぽくてアレなんだけど、それって必要な気遣いですよねきっと。人と人は必ず他人だし、それぞれ地雷埋まってるゾーン違うし、近づきすぎるとダメになるし。その距離感をはかるのって、言葉自体じゃたぶんできない。文章にしちゃったら、たとえば質問に答えるのでも、ちょっとイヤだなーって感じながら仕方なく答えてるのと、普通にハイハイって答えてるのとで大きく違いって出ない。だからメールで感情的なことを聞くのはとても怖い。疑心暗鬼になる。会ってしゃべっててもなるのに!

好きな作家・舞城王太郎さんの「我が家のトトロ」という小説に、はっとする文章がある。

”愛情を証明することはできない。僕たちは誰でも、誰かに愛情を持っているふりをすることができる。だから愛情は証明できない。”

その通りだ。…話が逸れた!

 

メールは電話にももちろん劣る。電話だとまだ、声色で相手の感情がある程度伝わる。まあ、こっちが喋ってる間電話線ばっかりくるくる、いやイマドキそれはないかもな。「つまんね~」とツイッターに投稿している可能性がある。でも電話だとまだ感情的な話をしてても伝わるし、地雷原にふみこんでいったら直接声で謝ることもできる。

メールのおぞましい所は、たとえ向こうのハラワタが煮えくり返っていようが泣き叫んでいようが、理性のかけらさえ残っていれば案外フツーの文章を打ち込むことができるとこだ。直接顔をみてウソがつけない人にだって楽勝だ。絵文字のニコニコマークやハートマークの裏に疑心暗鬼のブラックホールが広がっていく…愛情も感情も証明できないが、ある程度漏れ出るからこそなんとかして人間関わっていけると思っていたのに。ここはディストピアか。

 




神の棄てた裸体

という本を読みました。イスラームの国々での性を取材したもので、16篇から成る。つまり、16人の境遇について綴っている。性に関して厳格なイメージのあるイスラーム圏だが、その実態はカオスだ(性の実態なんて、どの国もそうかもしれないけど)。インドネシアジャカルタの13歳の少女売春婦エパ。軍人に拷問・強姦され逃げてきたスマトラ島のヌール。パキスタンで互いに男娼であることを隠しあう兄弟。迫害されながらも踊りに誇りをもつヒジュラたち。ヨルダンで銃声の幻聴に耐えかねて毎日男と寝るウワンダ。おおらかなレバノンの占い師ベア女史。マレーシアのレディーボーイ・アリス。工場のために、家族形態がおかしくなってしまったバングラデシュの村。一夫多妻制のクルド人の村の、幸せに満ち満ちた家族。ミャンマーで、妻と、強姦した日本兵の男との子供を育てた男。パキスタンで、息子や親戚のために娘を殺さざるをえなかった男。アフガニスタンで、名誉や家族のためには死ねなかった同性愛者の男ソルタン。インドで、騙されて不妊手術をされた売春婦アキ。過去に行った堕胎行為への苦悩から、不妊の女たちをきにかけるインドの薬師。バングラデシュで売春をする10歳のレジミー。自らも公園で暮らしながら、母親が死んでしまった赤ちゃんに出ないお乳を吸わせてあげようとする11歳のジャラカ。

 

この本を読んでいていちばん印象的に思ったのは、愛されたい子供たちのことだった。先進国で暮らしてると児童売春なんてとんでもないことだ!って問答無用で拒否反応をおこしてしまうけれど、この本では子供たちは積極的に大人に甘え、「体は好きにしていいから愛してくれ」と言わんばかりだった。たとえばジャカルタの少女売春婦エパは、恋人の大学生に避妊具をつけてくれと言って怒らせてしまい、石で殴られてしまう。日本なら訴訟ものだが、彼女は「彼に謝りたい、許してほしい」といい、ラストでは仲直りした恋人と笑いながら踊っている。バングラデシュのレジミーは、ベッドで性的接触をされて戸惑い「僕は君を助けられないんだよ」と背を向ける著者に「助けてほしくない。抱っこしてほしいの。抱っこしてほしいだけなの。どうしてそんなに嫌うの」と言い募る。また、成人した売春婦にも同じ問題を抱えているケースがあった。スマトラ島のヌールは拷問・強姦された過去や容姿から自分を好きになってくれる男性がいないであろうということに心を悩ませ、お金を取らずに男を誘う。

 

虐待と愛着障害について勉強したとき、つくづく性は難しい問題だと思ったことを思い出した。どうしても性的接触は愛情表現的な一面を持つみたいで、性的虐待を受けた子供も、なんとなく撫でられるところから入って徐々に本格的な性的虐待に移行していくと、ただ撫でられてたときの優しいな嬉しいなみたいな感覚が残ってるから、どうも自分もどこかで合意してたような気がしてきて罪悪感を持つケースがあるらしい。レジミーは性器に石を詰められたりしているにも関わらず、客は優しいという。どんなに嫌な客でも最後には抱っこしてくれるという。日本でヌクヌクと育ってる私なんかには、それは愛ちゃうんやでと指摘することは容易だけど…売春なんてよくないだとか、他の仕事を見つけろよとか、そんな無責任な言葉で彼女たちを突き放すことができない。

 

人間は愛なしでは辛くて辛くてとても生きていけない。親もおらず、帰る家もない彼女たちが、性的な目的で寄ってくる人間に縋ることの、なにが卑しいだろう。なにが恥ずかしいだろう。愛情を渇望する心をなじることのできる人なんかいるだろうか。彼女たちに軽蔑の眼差しを向けるのはあまりにも情がないのではないか。憎むべきはいつだって個々の人間ではなくそんな状況を生み出してしまった社会だ。わたしはとても無力で、彼女たちのために出来ることなんて何ひとつない。だけど、「月の谷の女」にでてきた西洋人のように、「恥ずかしいことするな」「自分をもって現実に立ち向かえ」なんて言い放つ人間にだけはなるまいと思う。彼女たちはきちんとひとりひとり人間だし、考えているし、気持ちもあるし、自尊心や葛藤だってあるのだ。そんな当たり前のことを、文化や境遇の違いを通せば簡単に忘れてしまう自分を戒めよう。

次のお芝居

今年の夏にやるお芝居の役が、どう考えても羽川翼っぽい……。そのイメージがぬぐえないので、逆にそのイメージに近づくつもりで役作りをしようと思ってる。ひょえ~おっこがっましー!頭がいいんだけどたまに抜けてるとことか、正論を恥ずかしがらずに言えちゃうところとか、それはどういう恋なんだ?ってとことか、深そうで浅いとことか。

深刻な感情の起伏があるキャラか、もしくは何も考えてないキャラのほうが演じやすい。勢いにのれない分今回は丁寧に作っていかないと、なんとなくできちゃいそうな役だからこそ自分の中で不完全燃焼になりそうで怖いなー。

 

最近朗読やりたい欲がむくむくしてきてる。ニコ動とかで朗読してみたタグとかあるんだけどすごく過疎ってるぽいんだよね。青空文庫とか地道に読んで好きな短編アーカイブつくれたらすっごく面そうとか思っている。でもどこで録音してるんだろう?家だと雑音入っちゃいそう。最近寝る前に物語シリーズの予告編を流して和むのがマイブームになってるので、そういう安眠ツールとしてだな、なんか練習してうまいことできんか。でもたぶん朗読ってものすごく難しい気がする。音声として聴けるレベルの発音って気が遠くなりそうー。

 

新しい脚本の構想が進まなーい。ループものってもう出尽くしてる感あるし矛盾点つきつめてくと頭こんがらがるし、どうなの。

奇談求む!だよ。

鎮痛剤というステキなおくすりによる魔法の効果で、抜歯したほうの頬は腫れてるものの気分はラクチンになったんです。で、お出かけもつらいので部屋でヌクヌクしながら太田忠司さんの「奇談蒐集家」読んでた。書店で今話題!って並んでいたから買って積読してたんだけど、期待してたほどではなかったなあ。次は宮部みゆきさんの「火車」読もうかな。それとも海外ミステリーのオムニバスのやつにしようか。積読しすぎてて、自分の部屋の本棚なのにプチ図書館状態。読み終わってフーンって感じのはこの前掃除ついでに売ってしまったし、お気に入り定番の本か未読のものしかないんだけどミッシリ詰まってるからな……言い訳をすると、最近、というか大学入ってからどうも乗り物酔いがエスカレートしてきて、電車で本を読んでると気分悪くなってくるんだよね。携帯見るのも辛くて、ひたすら車窓を眺めたりしているよ。病人気分のときはやっぱり液晶画面をみなきゃいけない映画よりも本のほうが体に優しい気がします。子供のころ学校を休んでみる教育テレビは特別な気がしてすっごく好きだったけど。

 

奇談好きで、にちゃんねるまとめサイトの中でもかおすちゃんねるとかてつがくにゅーすとかみて、よく怖い話とか奇妙な話を読んでる。たいていフーンって感じなんだけど、たまに恐ろしいのがあって、やっぱりそれが定番になってるよね。私がほんとにぞっとしたのは、怪談系だときさらぎ駅とか猿夢、リアル。事件系だと朝ごはんの準備したまま消えちゃった家族の話。あとこの前あった事件で、被害者のインプラントが犯人の家の排水溝にひっかかってて逮捕に至ったのは怖かったな。この平和にみえる日本でも知らないところで日々事件が起こって証拠隠滅されてるのかと思うとぞっとした。今すごく警察の捜査も科学的になってるっていうけど、やっぱりひっそりこっそり怖い事件が起こっててもおかしくないもんね。そういう身近なのが一番怖いかも。人間の悪意がいちばん怖い。そういう意味ではにちゃんのお憑かれさまはものすごく怖かったな……。

奇談が好きなのは他人事だからで、たとえばホラー映画は平気なのにお化け屋敷だとびびるのと同じで、身の回りは穏やかな日常であってほしいものです。わたしなんかちょうビビりですからね。

ぶるぶる

親不知を抜いた。一年ほど前に下を二本とも抜いてて、今日は上の左を抜いた。右はまだ骨の中らしい。左も半分骨の中だったらしく、お医者さんは疲弊しきった表情で、右はでてきてから抜いたほうがいいとおもいますって言った。わたしもそう思う。

 

前回も思ったんだけど、親不知抜くときって神秘的なきもちになる。麻酔されたときは「もうダメだ!私はどうなってしまうんやろか...」って悲しい気持ちになって、「どうしよ〜かみよ〜ママよ〜!」ってぶるぶる真顔で震えてるんですが、麻酔がきいてきてさぁ切開しまっせって段階にくると、意外と全然痛くないのでヨッシャやったんでみたいな勇敢な気持ちになってくる(がんばるのはお医者さん)。で、抜き終わった今、また手負いの獣みたいになってぷるぷるしながらションボリ帰ってる。

 

身体が危機に直面するのって本能的にとってもどうしたらいいかわからなくてこわいことですよね。それは、いくら医療が発達して親不知で死ぬなんてあんまりきかない時代になったって一緒ですね。日々人間の生死と接しているお医者さんとかって、そういうの達観してるものなんだろうか?わたしはどうも動物的にしか捉えることができなくて、だからそのへん達観してる人のお話をきいてみたい。

 

書いててまた不安で悲しいきもちになってきたよお。わたしの親不知はどこかへいっちゃったよ〜。ぶるぶる。ションボリうどんのぬるいやつ食べてお薬のんで、今日はもうオシマイにするね。

どうも好きになれないんです。

昨日、最後の集中講義が面白かったって書いたんだけど、すごく考えさせられたから忘れないうちに書いておきます。

書いてみたら小レポートか?って長さなので続きを読む機能を使ってみよう。現代美術好きなひとは気分を害する可能性があるので読まないほうがいいかもしれません。正直な気持ちを書きます。好きな人ごめんなさい。イヤしかし、いろんなひとがいるほうが面白いよねってピーナッツに書いてありましたよ!

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さぼってたぶんの総括

ひょえぇえ。もう3月だぁ。ブログ全然書いてなかったあ。

というかねブックマーク整理しようとして発見して、あ!ってなった。続けるって難しいネ!

 

さてさて更新してない間に起ったできごとをポツポツ書いておこう。

前回の更新1/3なんだよね。三日坊主すぎるよね。

まず1月は卒論でバタバタしてた。あと芝居の準備もいよいよあわただしくなっていった印象。気付いたら1か月前がきててめちゃくちゃ怖くなって、眠れなかったり寝すぎたりして、小道具作って音響照明プラン作って音響集まらなくてまた眠れなくて、自分自身のこともおろそかになっててあわてて。いつものように完全にキャパオーバーだったんだけど、今回はいろんな人にちょいちょい仕事をふることを覚えた。でも次はわかってない人にも教えつつ投げるってことをやりたい(次あるんか?)。

本番の出来としては、どうだったんでしょう。お客さんも団員の友達が多いし正直なところはなかなかわからないんだけど、客だしのときにまだちょっと思い出し泣きしながら「よかったよ」って言われると、こっちが泣きそうになった。たぶん泣くっていうのは微妙なラインで、ストーリーがよくなくても感動できるシーンがひとつあったら泣けるは泣けるんですよね。だから手放しで喜べることではないのかもしれないけど、でも泣いてくれたっていうのは一方で感情移入できるキャラがいたとも受け取れるし。自分が泣いた映画ってのは、必ずしも自分の中に残る好きな話かといえば違うんだけど、たしかに一瞬心を動かされたことは事実だから、今回のことは素直に喜ぼうと思ってます。そして、あ!って思ったのは、「小説的すぎて脚本としては微妙」「映画ノルウェイの森的残念さ」って感想。そうなのかも。あと、私は物語を象徴的にみるクセがあって、このシーンは現実のこれの象徴、これを示唆するって考えながら書いてるのが、みんなそういう風にみないのか、わたしの変換が下手なのか(たぶんコレ)、伝わってないことも多いのかなって印象だった。

とにかく次の脚本にむけて本を読んで勉強する!あと次の構想では男の人が主役なので、男の人のエッセイとか読んでなんとか、リアリティをだな。

そうそう、「女子力な脚本だと思った」って感想があって、喜んでいいのかわかんなかった。

あともし次に企画でやる機会があったらぜんぶ役割分担したいんですよね。音響照明演出はそれぞれ私がスゴイ!と思ったひとたちがいるわけだから、もし色々が合えばお誘いすべき。

あー、なんせ反省点が腐るほどある!!

脚本が完成してから人を集める

舞台図、美術、小道具、衣装ははじめからある程度リスト化して収集を分担

音響照明ははずせないこだわりのみ伝えてプロフェッショナルに投げる

イリハケや着替え、小道具移動のタイミングを表にして把握

音響照明と役者のタイミングはまとめて一覧表にして、紙面できっかけ合わせを

脚本は書き言葉と話言葉の違いに留意

暗転回数に注意しながら物語をすすめろ

 

はー。あともう演出はやりたくねえ!!!!才能がねえ!!!!!!

でも勇気を出して抽象的にしたシーンがうけてよかった。

 

で、前後しますが卒論。

卒論は、どうだったんだろう、とにかく発表ガタガタでしたね緊張と準備不足で…だって本番の次の日発表だったんだよ。しかも発表順朝イチ。起きてるだけで辛かったよ!で、先生に怒られるかなあっておもってびくびくしてたけどよかったよって言ってくれて嬉しかった(まあ最後に怒る先生もめったにいないと思うけど)。で、午後からの友人の発表練習につきあって、ゼミのみんなでピザたべて、発表室で発表きいたり次の脚本の構想練ったり(書いてて気づいたけど書いた紙間違って捨てたわ最低)、眠ったりして、最後食堂でちょっとごはん食べて解散。わたし、この食堂で担当教授と、あまりかかわりのなかった先生に挟まれてたんだけど、夏のボーナスをもらってからは社会人金銭的潤いを得られるとの話をしてくれて、がんばろうと思ったよ。この研究どうだったんだろう。明確な結果まではいかなかったけど、心理系の先生からは面白そうとは言われるので、よかったのかな。これからも心理については勉強したいな。

 

あとは、最後の集中講義がけっこうおもしろかったり、バイト先がつぶれたり、新しいお芝居の稽古がじわじわ始まったり、学科の友人と温泉に行ったりしてて、昨日劇団で解散の飲み会をしてきました。最後に一人ずつ一言言ったりして。でもね、しんみりした感じではなくて、また会えるよねって感じで、なんだか実感がなかったなあ。公演が終わったときは写真見返して泣いたりしてたのに、みんなで騒いでると全然かなしいきもちにはならなくて、むしろこれからみんなの人生が始まってって、それがとっても楽しみな気分になってた。みんながんばれ。わたしもがんばれっ。

 

わたしたちはあしたをかえることができるか