子供は産まれた瞬間から生きている

昨日の授業が辛すぎたのでそのことも書いておこう

 

5歳の女の子が遊戯療法を受けた例。

その女の子は母親に階段から落とされて病院に運ばれてきて…つまりおそらく慢性的に虐待されていて、一時保護所で預かることになり、そこでトラウマを癒すため遊戯療法を受ける。

くまのパペットや赤ちゃん人形に「ゴハンぬき!死ね!」「お前なんかいらん!どっかいけ!」って言って殴る殴る。カウンセラーが「赤ちゃんは痛がっています。えーんえーん。」と実況すると更に激しく殴る蹴る。うわあ、もう読んでて辛くなってきたよ、こんなことされてたんだな言われてたんだなって。でもこれはカウンセラーの対応によってだんだんと「ごっこ」になり、傷付いた赤ちゃん人形を治療するお医者さんごっこになっていく。傷付いた自分を治癒する立場を経験していく。

 

本当に私を暗い気持ちにさせたのは、「ごっこ」にできなかったエピソード。

どうもその女の子はお風呂を怖がる傾向にあったようで、それがひっかかっていたカウンセラーはプレイルームにおふろセットをさりげなく置いてみる。すると何日かたった後に女の子はそれを手に取り、男の子と女の子の人形の服を脱がせて激しくお風呂につっこみはじめる。これは数日続いたが、カウンセラーの実況や語りかけにも反応をみせず、ただ乱暴に人形を放り込み続けるだけの動作で終わった。つまり遊びにならなかった。

 

教授ご自身も似た事例を経験されたらしい。ドールハウスで遊ぶ時かたくなにお風呂を無視していた子が、ある日突如決心してお風呂を使う。でもその時その子は本物の水を汲んできて、本当にその小さなお風呂に水をはってしまった。そして男女の人形の服を脱がせ、明らかに性行為を示すようなぶつけ合いをはじめた。本物の水を使い、「ごっこ」ではない生々しさをもってしか、お風呂場の記憶、イメージを再現できなかったんだろう。残り時間が少ないことに気付くと、その子はその水を使ってドールハウスを磨き始めたという。汚くなってしまった家を一生懸命清めた。そして次の日以降、一切お風呂で遊ぶことはなかった。遊びにはできなかったからだ。なんだこの話。辛くて泣けてきた。

 

本当に辛いこと、苦しいこと、悲しいことは、どうしたらいいかよくわからない。受け止められない。抽象的なレベルにもっていくことができない。

世の中には時が解決する問題もあるが、解決しない問題もある。家族。性。愛。信頼。安心。時とともに薄れてはいくかもしれないが、おそらく一生その痛みを背負って、繰り返し繰り返し傷跡の存在を感じながら生きていかなくてはならないんだろう。人間を産み人間を育てるとはものすごくおそろしいことだ。最初、人間には家族しかいない。家族だって人間だもの色々あるでしょう。だけど子供の土台をズタズタにすることだけはやめてほしい。

 

心理の授業で教わる症例は基本的に具体的なことはぼかされ、複数の症例が合わさったりフィクションがはいっている。この体験に似た状況の、たくさんの方々がその後の人生に恵まれていることを祈らずにはいられない。生まれてきてくれてありがとうと言ってくれる誰かがみつかりますように。生まれてきてよかったと思える日が来ますように。

わたしたちはあしたをかえることができるか