みみのうしろをかいてやる。

今週のお題特別編「素敵な絵本」

 

中学生のとき、長崎の絵本美術館に行った。その時なんとなく手に取ったのがM・B・ゴフスタイン作「ブルッキーのひつじ」。シンプルでかわいい表紙に惹かれただけだったが、中を読んでみて感動、絵本なんて歳ではないのに即購入。

最近「大人の絵本」だなんていわれているけれど、絵本は絵本だし大人が絵本ばかり読んでいてはいけないと思う……ものの、これは子供は勿論大人にもおすすめしたい一冊。

ブルッキーちゃんという女の子と、彼女のかわいい子羊の話で、いや話というほど長くはない。この一人と一匹は言葉をかわして笑ったり、一緒に大冒険したりはしない。ただの女の子と、ただの子羊だ。だから彼女が歌を教えても本をよみきかせても、わかってあげられない。羊の言語はめえめえであって小難しい言葉はわからない。だけどこのブルッキーちゃんと羊はものすごく仲がよくて、ブルッキーちゃんは「めえめえ」ばっかりの歌の本をあげて一緒に遊んでいる。お互いの言ってることをわかってあげることはできない。でもただ一緒にいて、くっついてにこにこしている。うつくしい友情、うつくしい愛だと思う。人間は互いに多くを求めすぎる。言葉という道具に騙されていやしないか。言葉は一見みんなに共通するものだけれど、異なる体験を積み重ねて生きてきた人間が隅から隅まで意思や感情を伝え合うことなんて不可能だ。他人のバックグラウンドすべてを理解できない限り本当の気持ちはわからない。本人にだってわからないかもしれない。言葉のうえではわかっても上滑りしてますます距離を実感する。わかりあえないことが多すぎるのに、みんな言葉で通じあおうとして、挫折したらそれなりに怒りや寂しさを感じてしまう。あいつはわからんやつだよ、だれもわかってくれない、どうして伝わらないの?なんて。だけど無理矢理ぜんぶ分かり合う必要があるだろうか?このブルッキーちゃんと羊のように、ただお互いを想い、仲良しだよねってことは、小難しい言葉を並べなくたって近くでニコニコしていればわかる。ただ一緒にいて、おだやかにくっついて、たのしいふたりの遊びをやっていればいいんだ。

というわけで、そういうシンプルな愛のありかたがシンプルな線画と谷川俊太郎の訳で表現されたとっても胸に沁みる作品だよ。出産後のプレゼントにとってもオススメ。ちなみにゴフスタインはこの作品を旦那さんに捧げたらしい。

 

 

ブルッキーのひつじ

ブルッキーのひつじ

 

 

わたしたちはあしたをかえることができるか