今日は休戦記念日

男が嫌いで、心底気持ち悪いし死んでくれないかなーといつも思う。この問題は根深い。死んでくんないかなーなんて軽く思っているうちはいいのだけど、それがだんだんと身を焦がすような憎悪に発展し、お前が死なないのならわたしが死ぬ!いやなんでわたしが死にたくならなきゃいけないんだお前が死ね!というような激しい殺意に発展し、毎晩号泣しながらうめく毎日に突入していく。24時間365日というわけではない。普段は忘れている。でもちいさなきっかけがやってきた瞬間この憎悪はよみがえり、しばらくわたしの心を焼け野原にする。

人生22年間、わたしはたびたびこの憎悪と向き合わなくてはならなかった。男に見下されていると感じたとき。他の女を見下して笑っていたとき。男が偉そうに喋りかけてきたとき。しつこく連絡先をきかれたとき。告白されたとき。マイナスの行為のみならずプラスの行為に対しても果てしなく腹が立つ。告白されるというのも、わたしにとっては見下しだった。わたしなら了承するとでも思ったのかっていつも腹が立った。性的な目でみられていると思うとゾッとした。衝動で刺し殺したかった。彼らを罰したかった。

女は気持ちの悪い男がいれば嫌悪感を感じるものだろうとは思う。それは逆もしかりか。だけどこんなにも死にたくなるような切実な殺意をみんな持つのだろうか?わたしはいつもひとりで苦しんだ。わたしが殺意を抱く男たちにもしばしば恋人はいたし、女友達も豊富だった。憎しみを共有することはできなかった。わたしの過剰な憎悪は周りの女たちを驚かせ、宥めさせた。

一説では、男性嫌悪は男性自体ではなくみずからの女性性に対する嫌悪なのだという。たしかに男から告白されたり「女だからな」と見下されるというのは、自分が女であるということを強く意識させる。わたしは男になりたかった。女は弱い。

小さいころ、警察官の家に招かれたことがある。今思えば退職者だったのかもしれない。おじさんとおじいさんの間くらいの年だった。彼は私を「美少女だ」と言って、門のなかへ連れ込み、抱え上げてキスした。手帳を取り出して、「住所と名前を教えなさい」と言った。怖かった。その家の門には「警察関係者」「こども安全」のようなステッカーが貼られていたし、そのおじさんは毎朝門前を掃除していて、あいさつする仲だった。いいおじさん。近所のおじさん。高校生の娘がいる。門の裏の暗がりで、わたしは彼に屈した。家に帰れるのならなんだってよかった。はやく帰りたい。「かわいい女の子のお友達をおしえて。」再び屈した。9歳女児。それ以上は何もされなかったし、今でも彼がなぜそんなことをしたのか謎だ。友達のところにはその後実害があったのだろうか?怖すぎて確かめる気にはならなかった。わたしはこの時大人の男性に対する恐怖と嫌悪を獲得したのではないかと自分で思っているのだけど、この時感じたのは恐怖だけでなく、いやそれ以上に、弱い自分への嫌悪感だった。何もできない私。気持ち悪いおじさんの言いなりになるしかない私。友達を売る私。なんでも話す私。穢された私。死んだほうがいい私。美少女でなければわたしに価値はない。大学生のとき、自称アーティストのおじさんにパンチラ写真を撮られたり、美少女だねーって寄ってきたおじさんとふたりで遊びに行った。もう一度繰り返すことで向き合えるんじゃないかと思った。でもだめだった。わたしはモノのようにみられているんだなあ、とぼんやり思っただけだった。これから老けて、美少女なんていわれることもなくなるだろう。わたしは用済みの廃棄物。生きてる価値ない。自分でもそう思うし、男もそう思ってるんだろう。そう感じるから、たぶん私はこんなに切実にあいつらが嫌いなんだ。男にかわいいねっていわれると死にたくなる。

初恋のひとは性同一性障害だった。恋人にはなれなかったけれど、「きみは男性嫌悪だから。」と言って、ふたりで出かけるときは女の子らしい格好をしてくれた。「そんなんじゃないよ。」って笑ったけど、ほんとうは嬉しかった。きれいな彼と遊ぶのがとても好きだったし、彼が仲のいいひとと一緒にいて、男らしい口調で話しているのをみてると寂しかった。わたしは男と女のいいとこどりがしたくて彼をあんなに好きだったのかもしれないと思うと、悲しくって今でも涙がでてくる。生も性も汚いし愛なんてしょせんエゴで、なにもかも嘘に思える。どうして神様は男と女のふたつの属性をつくったんだろう?わたしはそのどちらも嫌いで、どちらにも踏み出せずにずっと立ち止まっている弱い女だ。強い人間になりたい。自分も他人も属性ではなく、精神の美しさが大切なんだ。男も女も関係ない。私が過去に男に屈しまくってきた弱い女だなんてことはもうこれからは関係ない。ただ、人間として、ただしく、きよく、真実に生きればいいんだよ。休戦しよう。今日は休戦記念日。自分をののしり他人を憎悪するのはやめよう。苦しかったよね、もういいんだよって、言ってあげたい。

 

わたしたちはあしたをかえることができるか